サイハテの手記

不定期ですが、よろしくね!

生き方の基準を、想像の世界から考える

 

私は最近、よくこんな想像をするようになった。

 

 

 

 

玄関のドアを開けて、家を出る。それはコンビニに買い物に行くような、そんな些細な用事のためだ。

外に出て角を曲がる。特に変わった様子のない、いつもどおりの朝。
コンビニは、この横断歩道の先にある。私は車が行き交う道路の手前で、信号が変わるのを待っていた。

 

信号が青に変わって、横断歩道の中間まで歩いたころ。ふと右を見ると、大きな車がこちらに向かってきている。工事現場でよく見るような、メッキバンパーの大型トラックだ。でも、様子が変だ。車の信号は赤のはずだ。トラックは止まる様子がない。スピードは加速度を増している。それどころかもう目前だ。ブレーキももう間に合わない。猛スピード。手遅れだ。突っ込んでくる。だめだ。よけきれない。

 

 

 

 

 

大きな車体がからだを打ちつけ、私を空中に向けて勢いよく跳ね飛ばす。
辺りに響きわたる、けたたましい衝撃音。
痛い、というより、衝撃が強すぎて感覚がよくわからない。
私はまだ宙を舞っている。
大きく破損したトラック、さっきまで歩いてた横断歩道、力なく揺れる自分の腕、こちらを見る人の顔、顔…… すべてがスローモーションだ。

 

 

 

 

 

という、想像。

 

 

 

 

 

もし私がこういう目に遭って、トラックにつき飛ばされて宙に浮いているとき、自分の頭のなかによぎるものは、きっと仕事か家庭のことだろう。そしてそれはきっと、これから過ごすはずだった時間に対しての後悔だ。

「こんなところで轢かれなければ、もっと仕事が出来たのに」かな? それとも「こんなところで轢かれなければ、私の彼や飼っている犬たちと、もっと楽しい時間が過ごせたのに」かな?

 

仕事がたくさんこなせなかったことと、みんなと一緒にいられなかったこと。最後に私が後悔するのは、一体どっちなんだろう。

 これが最近、私が日々生きる上で時間の使い方の基準にしているものです。